君たちはどう生きるか
今話題になっている、「君たちはどう生きるか」と言う本について書きます。
1,930年代に書かれたこの本は、丸山眞男など日本を牽引した思想家たちにも大きな影響を与え、特に教育者の間ではバイブルのような存在となっていました。
あまりこの手の本は好きでは無いのですが、これを機に読んでみようと思い、購入。
主人公のコペル君は、周囲の友達との関係の中で、いろいろなことを学び、考えます。その考えたことについて、叔父さんがアカデミックな解説を加え、問い掛けていきます。
この本から学ぶ事は、「人生の諸問題を考えるには、科学的・哲学的な考察が必要であり、それは不可欠な教養」であると言うことです。
哲学者や科学者の名前がずらずらと出てくるような本は、理論武装の感があってあまり好きにはなりません。しかし、この本の著者、吉野源三郎さんは、そういった次元をはるかに超えて、きちんと自分の中で消化できている知識を使っているのだということを感じます。
かつての凝り固まった教養主義の学者が多かった中で、極めて特異な存在だといえます。
「生きるとはどういうことか」「生きていくときにどんなことが必要か」こういったことを語りたがる教師は多いです。と言うより、教えられるものならこういうことを教えなくてはいけません。
しかし、皆さんは、先生が話したそーゆー話を1つでも覚えていますか?
多分、ほとんどの人は何も覚えていないと思います。なぜなら、彼らが語っているのは生きると言うことではなく、単に自分の経験、思い出話だからです。基本的にあの年頃の生徒が、教員の美化された過去などに興味のかけらもあるはずがありません。オナニーです。
「自分の経験は他人には当てはまらない」ということを自覚できていない人間は、特に教員は本当に多いです。
これの最たる例は、僕が大嫌いで最も教員に向いていないと思っている、尾木ママです。大体、ヤンキー先生とか、オカマとか、そういった人たちをまるで教師の鏡のように扱って子供たちにどんな影響を与えたいのでしょうか。彼らが言っている事は、誰もが聞く前からわかっていることです。世間の悪意を煽り立て、増長する、モンスターペアレンツの生みの親のような存在です。もう70を過ぎているのだからとっとと引退して短い余生を静かに送って欲しいものです。
ついつい、話がそれてしまいました。
コペル君が日常疑問に感じたことを、経済学の理念や、ニュートンやアインシュタインなどの科学史、ナポレオンの例など、広い教養で持って解決するのではなく、考えさせています。
学校の勉強は無意味、ビジネスに直結することを学校で学ぶべきだ、そういった考え方から脱却させてくれる本です。確かに、無教養な教員が授業を行えば、それの意味が分かっていないわけですから、無意味で空疎なものに聞こえるでしょう。
しかし、今時流行らない、学問や教養に深い魅力と憧憬を感じて欲しいのです。これが、社会に出る前だからこそできる学校と言う場の学問にふさわしいものだと思うのです。
漫画版も出ています、皆さんもぜひご一読してみてください。ちなみに、活字版は、最近出たハードカバーのものよりも岩波文庫のほうが安いです。笑