つひにゆく道

休職中の国語教師が教育・文学・音楽などについて語ります。料理と愛犬についても結構書きます。

心を無にする必要性――休職に至るまで

僕は現在、学校を休職しています。

 

それからしばらくしてこのブログを始めたのですが、このはてなブログを少し除くだけで、同じような理由で同じような状態になっている先生方がたくさんいることに驚きました。

 

休職に至った原因は山ほどありますが、まず一番の引き金になった出来事について記そうと思います。ストレスがたまる原因は、一言でいえば、

 

「違和感の連続」です。

 

教える方が違和感を感じているのだから、教わる方は迷惑千万、深く傷ついてしまうこともたくさんあるでしょう。

 

「お金をもらっているのだから嫌なことでもしなくてはならない」

「妥協しないと組織が成り立たない」

 

そんなことは頭では分かっています。しかし、子どもたちが迷惑・傷つく上、何の意味もないことをさせるためにお金を払い、組織は成り立つのでしょうか?勉強を教えたり、部活動でスポーツを教えたりする時間を削って、そこに力を注ぐ。

 

それが「学校」であり、「教師」なのでしょうか?

 

そんな違和感を感じる場面は、やはり「生活指導(生徒指導)」なのです。

 

これが全く必要ないわけはありません。子どもたちも、「やって良いことと悪いことがある」なんてことはとっくに知っています。だから、授業中に寝ていたり、カンニングをしたり、教師に暴言を吐いたりしたら、怒られるのは当然だし、最後にはちゃんと謝ります。保護者もそれに関しては何も文句は言ってきません。

 

問題は、「なんでこれが<悪いこと>なの?」と、まともな神経をしていれば誰もが感じることを、真顔で「<悪いこと>」だと「指導」しなくてはならないことです。

 

そして、その「指導」のシステムが、生徒と保護者の不満を募らせるように出来上がっているのが、恐ろしいところです。

 

僕の場合は、こんな出来事がありました。

  生徒Aの持ち物がなくなり、彼は学校中を探し回ったところそれを発見。しかし、証拠がないのに生徒Bに「お前が隠したんだろ」と疑いをかけ、口を割らないので、殴って軽いケガをさせてしまった。

 

というものです。これは「暴力行為」ですから、まあ「悪いこと」には相当するでしょう。しかし、問題はそのあとです。

 

僕たち教師が、殴られた生徒Bから事情を聴いていると。帰ったはずの生徒Aは自分から職員室に来ました。そして、生徒Bの前まで歩いていき、深く頭を下げて謝りました。生徒Aは自分が「生活指導」を受けること、保護者にも連絡することは了承しました。

 

だから、ここまでは何も問題はないのです(強いて言えば、こんな子どものトラブルで保護者同伴で校長室まで行かなくても良いとは思うのですが)。

 

そして、担任である僕が、校内では「調書」と呼んでいる生活指導部と管理職に向けた報告書を書きました。その日のうちに夜遅くまでかかって。

 

次の日に提出しました。しかし、夏休み中ということもあって、部主任と管理職全員がそろう日がなく、読まれたのは5日後でした。

 

(それなら何のために、書類があるんだ。一人で読めないような奴が上にいるのか。)

 

それと並行して、その時間に校内にいた生徒ほぼ全員から、聞き取り調査をしましたが、生徒Aの持ち物を隠した者は分かりませんでした。それは当然です。ある程度目星がついている状態ならともかく、何もわからない状態で聞いて、確実にペナルティーがかかるのに「私がやりました」なんて言うわけはありません。

 

僕は、これはもう謝るしかないと判断しました。不幸中の幸いで、彼の持ち物自体に被害はなかったので、謝って諦めてもらおうと考えました。そして、殴ってしまったのは事実だから、生活指導を受けてもうらおうと。たぶん生徒Aは納得しないだろうけど、長い愚痴でも不満でも何でも聞いて、諦めてもらおうと。

 

しかし、1週間ほど経って上から伝えられた内容は以下のようなものでした。

 

 

生徒Aは<殴ったという部分について>校長から保護者同伴で厳重注意。我々は隠した者の捜索は十分に行った。明日の朝、保護者に来てもらうように連絡してくれ」

 

おいちょっと待て。

 

「その部分について」なんて言葉で誰が納得するんだ?

犯人見つかってないのに捜索は十分?

仕事をしてる保護者に、明日来い?1週間も待たせたのに?

 

生徒も保護者も納得できるわけはありません。実際、「もっとリュックの捜索を進めてからにしてほしい」と双方から言われました。僕もそりゃそうだと思いましたが、覆らず。はっきり言って、めちゃめちゃ文句言われましたが、次の日に来てもらうことになりました。

 

そして生徒Aは深く傷ついていました。「なんで俺だけが」といった様子で。だから心配して夜にもう一度電話をしました。そしてめっちゃ文句言われましたが、なんとか宥めて慰めました。そして「主任に代わってくれ」と言われました。

 

そこで主任が言い放ったのは、

 

「捜索は十分にした。明日はお前のやったことへの指導。それ以上でも以下でもない。」

 

いや待て。意味が分からん。特に「それ以上でも以下でもない」の意味が分からん。なぜ、僕が(納得いかないのに)丸く収めようとしてるのに、上司がわざわざ怒らせるんだ??

 

僕は、もうこいつらはとっくに感覚がおかしくなっているんだ、と痛感させられました。そして職員室を出て、帰りの車で「納得いかないのは分かるが、現行のルールではこうなってしまうんだ。お前にはいいところが沢山ある。友達もたくさんいる。高校生活はあと少ししかない。犯人捜しなんかしてそれを失わないでくれ。」と伝えました。

 

普段は手のかかるやんちゃな生徒Aですが、号泣しながら話を聞き、諦めたように「もう大丈夫です」と言いました。

 

もちろん僕の心もかなりやられてしまいました。理不尽な「指導」で生徒の心を深く傷つけたのですから。

 

この日はたまった仕事を放棄してビールを飲みました。妻に一部始終を話し「もう辞めたい」と言ったら、「辞めてもいいよ」と言ってくれました(もちろん、この段階では本当に辞めようなんて思っていません)。

 

そして翌朝、指導当日を迎えました。

 

その日の朝、保護者から「ボイコットする」旨の連絡が来ました。何とか来てくれと頼みましたが駄目でした。主任とのやり取りを聞いた両親が激怒したそうです。

 

「もうやだ」と思いながら、でも仕方のないことだ、僕だって納得できないのだから、親からすれば当然だろうと思い。主任と管理職が集まった部屋に行き、事情を話して謝りました。

 

しかし、校長からの言葉は、

 

「むしろそれでよかった。僕も持ち物の件は心配していたんだよ。主任にも確認したんだけどね。」

 

というものでした。横で、教頭たちも訳知り顔をして「うんうん」と頷いていました。

 

僕は「もういいや」と思ってキレました。

 

だったらなんで承認したんだ。心配してるなら言え、聞いてない。だったらプライバシーがどうのこうの言わないで、学校に防犯カメラをつけろ。

 

と言った感じで抗議しました。そうすると、教頭から、

 

「君がそうするのが当たり前なんだよ」

 

と言われました。

 

生活指導の主任からは、

 

「ああ情けない、分かったよ。1から10まで教えるから」

 

と言われました。本当に人望がなくて、学年には置けないからこのポジションになっている(と皆が理解している)オッサンになんでこんなこと言われなければいけないのでしょう。もちろん、これにもキレて反論しました。

 

職員室に戻ると、生活指導や学年の主任たちが、

 

「やはり学年集会やホームルームの時間などで、もう少し対応しなくてはね」

 

などと言い始めました。

 

「捜索は十分に行った」のではなかったのか?

 

そして学年主任はこんな事態でもまだ「それ以上でも以下でもない」と言い続けています。この段階で数か月前から気になっていた、頭痛やめまいなどの身体的な症状が、かなり強い形で襲ってきました。たぶん、「もう休め」という体からのサインなのだとは、とっくにわかっていました。

 

もう辞めようか迷いながら、重い体を引きずって朝のホームルームに行くと、生徒Aは元気にあいさつをしてくれました。泣かせるなよ。

 

そして呼び出して、「校長先生がお前の気持ちは分かってくれたから、指導はもう少し先にする。その時はちゃんと指導を受けろ」と伝えると、とても申し訳なさそうな顔をして「すみませんでした」と言われました。保護者からも連絡が来て、謝罪されました。昨日の夜に電話して謝ったのが、心に響いたそうです。

 

なぜ教師がわけのわからん理論で押し通すのに、理不尽な指導を受けようとする生徒と保護者は謝ってくれるんでしょう。本当に泣きそうでした。

 

そして1時間目の授業。ホームルームに続いて、自分の担任クラスです。50分間、キリのいいところまで進めたら、お別れの挨拶をして出ていこうか迷いながら授業をしました。でもやっぱり、それはまずいな、と思っているうちにチャイムが鳴り、授業を終えました。

 

休み時間もさすがに元気が出ず、職員室でうなだれていましたが、そろそろ2時間目が始まるので、授業に行かなくては、と思ったのですが、

 

体が動かなくなりました。そして頭痛もひどくなりました。

 

「ああ、これなんだな。もう駄目なんだな。」と悟りました。2時間目のチャイムが鳴りました。10分くらいして先生が来なければ、きっと生徒が呼びに来ると思い、もう諦めました。

 

リュックを持って学校を出て、車に乗りました。

 

家に帰ると、妻は受け入れてくれました。

 

その後も、同僚たちはきっと「授業を忘れてコンビニでも行っているんだろう」と思ったのでしょう。「おーい授業だぞ~」みたいなLINEが来ました。

 

その後には本気で心配するLINEが来ました。夜には生徒や保護者からショートメール(ケータイの番号は教えてあるので)が沢山来ました。

 

でも返せませんでした。

 

次の日の朝、なんとか学校に電話をかけて「しばらく休む」と伝えました。そして、予約をとって病院に行き、診断書をもらって休職することになりました。

 

今は何とか元気にやっています。料理は好きなので、主婦のような生活をしています。

 

この後に、いろいろ「違和感」を感じることについて書こうと思ったのですが、もう長くなっているので今度にします。

 

とにかく、今回学んだのは、

 

「心を無にして、何も考えずに事務的に処理しないと、やっていけない」

 

ということです。教師に向いていない人ばかり教員をやっている理由が何となくわかった気がします。