アメリカ旅行記①人種のるつぼ?
休職してできた時間を利用して、アメリカのサンフランシスコに行って来た。海外旅行は2回目(1回目は小4の時にグアム、英語わからんし親の後ろをついて行くだけだった)。実質初めてである。
大きな目的はNBAを観ること。教員やってたら死ぬまでかなわない(お盆と年末年始はゲームがない)と思っていた夢を、こんな形で叶えられた。それは後日。身長179センチの僕にはエコノミー12時間が辛すぎたことや時差ボケのしんどさなんかもあるけど、そういうのじゃなくアメリカに行って考えたことを何回かに分けて書きます。
中学生の時、アメリカは「人種のるつぼ」または「人種のサラダボール」と習ったので、色々な人種が入り混じるように暮らしている国、というイメージがあった。
ホテルのあるシビックセンターからダウンタウンのパウエル、ユニオンスクエアの方に歩いて向かう。
その途中、日本では信じられないくらい沢山のホームレスと大騒ぎする黒人がいた。障害を持った人も多かった。
日本のホームレスと違ってがめつい。路上でタバコを吸っていたら「Give me this one」と多分(彼らの英語は聞き取りづらい)言われ、とりあえず嘘をついて「empty」と答えたら、多分「その吸ってるものをくれ」と言われ、驚いた。「金をくれ」と言ってくる人もいた。でも日本人とは違い、「NO」と言えば引き下がる。
余談ですが、喫煙に対してとても厳しいイメージのあるアメリカですが、かなりの人が平気で歩きタバコしてますし、ゴミ箱にタバコを入れる口もあります。店の中とか以外は黙認らしい。小池都知事がオリンピックに向けて規制を強めようとしていますが、これだけ分煙がきちんと守られている東京で一体何がしたいのでしょう?横文字を使いまくるやつは、やっぱり外国を知らないですね。
話を戻します。
「福祉大国」と呼ばれる自由と平等の国アメリカでは、障害者すらホームレスになるのかと、その「自由」の厳しさを目の当たりにした。
ダウンタウンには、所謂「白人」「黒人」「アジアン」「チャイニーズ」「ヒスパニック」など様々な人種の人がいた。これは確かに人種のるつぼ。
でも、実際は全然そういう風には思えなかった。
大半の人が、同じ人種同士で歩いているし、街中ではともかく、住んでいる地区ははっきりと人種で隔てられている。サンタローザという田舎町に行ったらそこはヒスパニックの街で、スーパーの表示や街中の看板等はほとんどがスペイン語で書かれていた。
サンフランシスコのダウンタウンを抜けたところにはチャイニーズタウンがあり、そこは中華街そのものだった。ジャパンタウンもあるのだが、治安が悪いらしいのでやめておいた。
ホームレスには圧倒的に黒人の人が多かった。夜には地下鉄の駅の出口を塞ぐようにたむろしていた。ここを通る勇気はない。
教科書で習った、異常なほど無意味に平坦化された知識は、全くの偽物だった。学校で習うような英語はあくまで書き言葉や、アナウンサーのような英語で、実際にはいろいろな英語があり、大学入試に発音の問題を出す意味など全く感じられなかった。僕の単語と中学英語適当適当な発音で綴ったジャパニーズイングリッシュもほとんどが通じたし、奇妙な顔もされなかった。
よく言われていることだが、ビビって黙るのが一番な問題で、そちらを何とかすべき。多分毎日からしていれば発音や聞き取りなんてすぐ身につく。
とにかく、実際のところ、日本人がイメージしているような人種のるつぼではなかった。
日本ではあれだけ多くの人に愛されているマクドナルドには、笑顔の子供たちやカップルもたくさんいたが、浮浪者たちのたまり場のようにもらっていた。ちなみに「アメリカのマックのSは日本のL」というのは都市伝説だったようで、デカイのは飲み物だけ。日本とサイズも味も変わらなかった。バーガーキングもサブウェイもそんな感じ。
日本食は大変な人気らしいが、ONIGILLYが3〜5ドルとか、牛丼が10ドルといった有様だ。Sushiは玉子が一番人気らしい。誰だ「Japan」教えた奴は。
徹底された資本主義の国アメリカ、それを真に目の当たりにし、アメリカ式の自由と平等は決して夢のような素敵なものではないとした。
これを日本に持ち込もうとしても、到底真似のできるものではない。自分たちの文化を捨て、海外のスタンスに染まろうとする日本の浅はかさを思い知らされた。そりゃ、世界からバカにされるわ。
完全な自動車社会のアメリカは、左ハンドルで右側車線を走っているが、その車のほとんどが日本のトヨタやホンダなど。外国なのに見慣れた車ばかりで違和感があった。
ゲームショップでは、完全に日本のマリオやポケモンが席巻していた。
ダウンタウンのど真ん中には大きなユニクロの建物があった。庶民の服はとてもシンプル(アメリカ人の体型だとよく似合う)だったので、多分、日本以上にメジャーのファッションとなるだろう。
トランプさんが怒るのも無理はないと思った。
話で聞いてイメージしていた「アメリカ」はどこにもなかった。それを身をもって体感できたことが、アメリカに行った1番の収穫かもしれない。
(オマケ)折角なので、現地の画像。
マック(足りない、、、)
ホテル(シビックセンター前、夜はホームレスの巣窟)
サンタローザのスーパー
休職してわかったこと④足枷のおかげで生きられる
1ヶ月弱、更新をサボっていました。先週は、もうない機会だからと、アメリカにNBAを観に行くという夢を叶えて来ました。これは後日紀行文としてまとめます。
もう何回も書いていますが、休職してわかったのは家族の有り難みです。
元気に働いていた時も、「こんな生活続けらられるのか」「こんなアホな教員ばかりの職場でやってられるか」「バスケは好きでも休みがないのは辛い」などなど、漠然と感じていましたが、考えることに蓋をしていました。
結果、全てを投げ出して飛び出して来たわけです。ギブアップでした。おかげですっかり元気ですが。
8年間のサービス残業の分を取り返す、使える制度は使ってやる、という気持ちで長く休みはもらいましたが、それももうあと1ヶ月です。
休職し始めた頃、よく考えていたのは「生きるのって大変だな、めんどくさいなぁ」ということです。
別にそこまで重いうつ病と言うわけではないので、本気で自殺を考えたりしていたわけでは無いですが、この大変な生活を続けるぐらいだったら、人生終わりにしてしまったほうがいいんじゃないかなんて考えたりもしていました。
今思うと、この発想自体がやばいですね。笑
もしかして、独身生活を続けていたら、そんなことになっていたかもしれません。
でも、僕には家族がいます。奥さんと、2匹の愛犬です。この人たちを残して去ると言うことは、僕にとっても辛すぎるし、相手の悲しみを想像すればとてもできることではありません。
他にも実家の家族や大切な友達もいますが、そちらに対してはあまりそういう発想になりません。まぁ悲しませることにはなるだろうけど、僕の性格上、そこを遠慮してまで自分の考えを曲げることはあまりしません。
この半年間、とにかく家のことをやりました。国語を教えることよりも料理の方がよっぽど得意なので、まったく苦になりません。むしろ、大好きな趣味が毎日できて幸せです。
奥さんは僕が作る食事やお弁当を、毎日本当においしそうに食べてくれるし、うれしそうにしてくれます。働いてないんだから飯くらい作って当たり前なのですか、いつも感謝してくれます。
2匹の犬たちも、いつもゆっくり散歩に連れて行ってもらえて、家でいくらでも僕に構ってもらえて、とても幸せそうだし心なしか元気になりました。
今まで、家のことを負担に思った事は無いので悪い意味ではなく、この3人が僕にきちんと心地よい足かせをつけて、この世に生かしてくれるのだと、思うようになりました。
こんな素晴らしい奥さんと、かわいい犬たちがいる、この温かい家庭があれば他のものはどうでもいいです。
毎日のご飯の時間や、奥さんや犬を連れて出かける時間が本当に幸せです。
だから、来月末から職場に戻りますが、今までのように何でもかんでも気を遣って頑張るのではなく、きちんと自分に合った形で、自分にとって大切なものを守るために働くことができそうです。
足かせと言うのは桎梏ですから、たいていは悪い意味で用いられる言葉ですが、僕にとってはこれに限って、とても良い意味の言葉のようです。
普通の人はそうでもないのかもしれませんが、少なくともあと30年以上大変な仕事を続けていくというのは、僕には1人だったらちょっとできそうにもありません。
家族がそれをできる力をくれるのです。こんな当たり前のこともよくわからずに、よく結婚なんかしたもんだと思いますが、最近は本当に心が暖かくて幸せな生活を送っています。
話は変わりますが、最近作家の西加奈子さんが書く本にはまっています。多分理由は、その多くの小説が自意識と拠り所をテーマにしているからです。
この人は小説の構成と設定が本当に上手い。そして安易に弱者の味方をしない。
僕が専攻していた太宰治にとっては、自分の生まれや女性との関係、そして聖書や非合法運動などがそれだったらでしょう。
これは俗に中二病と呼ばれる現象ですが、過剰な自意識を持て余すと言う性格は、変えられるものではありません。もちろんこれのせいで生きづらくなっているのは自覚していますが、こんな性を持った上に双子に生まれてしまったので、もう仕方のないことだと考えるしかありません。
でも、拠り所と言うのは自分で見つける、というよりどこかで出会わなくてはいけないものです。
今までにも、拠り所だと思っていたものがたくさんあります。例えば生徒、国語を教えること、バスケットボール、音楽、文学などなどですが、拠り所がそんなにたくさんあるわけはありません。それらは「重要なもの」に過ぎず、拠り所としてのそれとは一線を画すらしいです。
本当の拠り所は、今一緒に暮らしているこの家族です。だからこの先、病んだりキレたりすることはもちろんたくさんありますが、それを無視して自暴自棄になることなんか絶対にないんじゃないかと思っています。
本当に素晴らしい家族に恵まれて幸せだと思っています。
雪が降る町
こんにちは。一昨日の大雪、大変でしたねー。
僕の町はやたら寒いくせに雪は滅多に降らないのですが、さすがの積雪量でした。
雪かきは腰にくるし辛い、、、というわけで。せっかくなら遊ぼう!という結論に達し、奥様とはしゃぎながらかまくら作成。
犬たちは大喜び。
せっかくなら雪遊び。楽しかったです。
僕が小学生の頃は、雪が積もると授業カットして外で遊ばせてくれましたが、最近はそうもいかないみたいですね。
雪が降るとこの曲を思い出します。これも今の子は知らないですね。
とりあえず、犬と奥さんの喜ぶ顔が見られて大満足でした。腰がやられてばすけいけなかったけど。笑
休職してわかったこと③継続は力なり
どーもこんにちは。今日もコメダ珈琲で読書をしています。情感が読み終わったので、気分転換がてら、ブログを執筆。
「継続は力なり」というのは、いろいろなところで囁かれている言葉で、基本的には良い意味で使われる言葉です。(最近は、部活動を強制することの弊害を語る際にもよく使われてしまっていますが)
僕も含め多くの人は、「途中で止める」ことを不徳と見なし、「継続する」ことを美徳と考えているようです。
もちろんその通りですが、しかしこれは、多くの無駄を生んでしまっていることも事実です。それどころか、多くの「ムダ」に押しつぶされながら働き、やりがいを失わせてしまうような恐ろしいものでもあります。
例えば、放課後に五分の小テストを始めてみても、効果が上がらなかった、と想定(ではなく実際にあるけど)します。
学校と言うのは、これをやめることをしないのです。
確かに、生徒に無意味なことをさせてしまったと認めることになりますから、教師としてはあまりかっこいいことではありません。
しかし、だからといって、意味のないものをやらせ続けるのは、もっともっとかっこ悪いことです。指導者としては恥ずべき失態です。
生徒を表面上は「やる」けれども、どんどんやる気を失っていきます。
そうして教員は何とかしようともがき、たった「五分」の時間に見合わないような時間と労力をかけてテストを作ったり、生徒のやる気が出ない原因は自分が「継続」していることなのに、生徒を叱責したり、5分のテストを2倍、3倍に延ばしたりします。
早く帰りたがってる放課後の時間にそんなことしてもがくより、普段の50分の授業の中にその五分を作る工夫をした方がどれだけ効率的でしょう。
就職するまでの7年間、多くの友人からお前は働きすぎだと言われました。実際にその通りだと思います。
これは、「撤退する勇気」がなかったから起こってしまったことかもしれません。
自分の決定で、変えられることばかりでは無いですが、前の担当者がやっているからといってそれを引き継がない、周りの教師がやっているからといって流されない。
そのような勇気を持った指導者が結局は、生徒から尊敬されるんではないかと思います。
これでも割と突っ張っている方なので、他の教員に比べれば、無意味だと思った事はやらない、または適当にある、と言う姿勢でやってきました。
しかし、周囲に忖度し、中途半端に薄まってしまったものを与えては、その効果は半減どころか激減します。前回のブログにも書いたように、本当に大切なもの、それは家族と生徒なのですから、今更周りのクズみたいな人間にどう思われようと知ったことではありません。貫く勇気を持たなくてはならないと思います。
しかし、効果がないからといって撤退する必要がないものがあります。それは、「好きなこと」です。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、継続すれば(人より上になれるかはわかりませんが)力にはなります。よほど間違った方法でなければ下手にはなりません。
僕が好きなものは文学とバスケと音楽と料理です。この中で普通の人より実力があるだろうと言えるのは料理だけです。笑
でも、読むのが遅くても、体が細くても、不器用で音感がなくても、10年続ければ、まあその辺のやつに負けない(少なくとも肩を並べられる)くらいにはなれるものです。
そんなわけで何とか生きていけるし、まあ職場の底辺で無能な先輩教師にしがみつくような生き方はしなくてもいい程度にはなれたわけです。
結局、これなんだよな。好きなことは、本当に好きなら下手でも続けられる。だから、真っ先に目指すのは生徒に勉強を好きにさせることだし、自分自身が勉強の楽しさに目覚めることです。
僕の勤務校くらいのレベルの学校ならば、それさえ達成できれば、まあそれなりに生徒はついてきてくれます。点数や偏差値の形で結果も出ます。国語のテストの点数なんて、その時の気持ち次第で大きく変わります。
周りの教員はそういう視点でものを見ないからあまり評価されませんが。されたくもない。
「継続が力になっているのか?」と見つめ直し、なっていないものはどんどん廃止・変更していこうと思います。
授業外の小テストは原則やらない。宿題はそもそも全員がしっかりやるはずないのだから、全員強制の回と希望制の回に分ける。
長期休みの課題は読書課題(生徒が遊びに行けば行くほど、その移動時間で宿題の読書ができる、というカラクリ)しか出さず、あとは希望制。強制の宿題だけやって長期休みにパワーアップして帰ってきた奴なんか見たことないもん。
その代わり、授業の予習は撤退させる。(僕の勤務校では、「予習は必要ない」と言い切る先生が沢山います。そんなに自分が教えたいのか、教科書以上のレベルを知らないからされたら困るのか。予習なしで源氏物語とか微分積分とか理解できるわけないだろう、、、。)
でもテストは激ムズ(僕のテストは「死のテスト」と呼ばれています。だって、勉強しなくてもできるテストで平均点高くても何の意味もないですから。)
補習は自分で質問に来ないかぎり、一切やらない。その代わり来たら何時間でも付き合う。
授業準備は論文読み漁って徹底する。(無駄が多いまま、これを続けてたから忙しかったんだよなあ)。
そんなところですかね。こんなの当たり前じゃん、って思われるかもしれませんが、「やらない」ことが極端にやりづらいんですよ学校は。
とりあえず今回学校を飛び出したことで肝は据わった。復職してもやらかしまくってやるぜ。
自分だけの拠り所―西加奈子「サラバ!」を読んで
またもや間を空けてしまいました。題があまりにも長くなってしまうのでカットしましたが、「休職して分かったこと」という連続ものの一環として読んでいただければと思います。
僕はオードリーの大ファンで、毎週オールナイトニッポンを聞いています。春日が新年早々、熱愛を報じられた若林をイジりまくる今年一回目の放送などは垂涎ものです。
その若林の天才的なコラム集、「社会人大学人見知り学部卒業見込み」という本があります。これはもうタレント本の範疇を超えて「文学」として認められる名作です。
彼がその中で感銘を受けたと書いている、西加奈子さんの直木賞受賞作「サラバ!」が文庫化されたので読んでみました。
表現・テーマ・構成・モチーフ等、どれをとっても非の打ちどころがない傑作で、1000ページ以上にわたる本ですが一気に読んでしまいました。
幼少のころから奇行を繰り返す姉に対し、主人公である弟は人間関係をうまくやりくりし、常に「いいポジション」で生活を送っていました。
しかし、そんなものは時間が経てば失われてしまいます。学校も、仕事も、容姿も、運動能力も、それらは一時の肩書きであって永遠のものではないからです。
それらを失いどんどん惨めになっていく弟とは対照的に、大人になった姉は素晴らしい結婚相手とも出会い、心身ともに安定した生活を手に入れます。
環境とコンプレックスに縛られ続ける弟と、拠り所をみつけた姉。ポジションは替わりながらも、常にこの二項が対比された形で物語は進んでいきます。
「三つ子の魂百まで」という諺があるように、人間は簡単には替わりません。その不変性があるからこそ、安心も問題も生まれていくのです。
自分の拠り所は何か?
僕はそんなものを次々に生まれていく軽薄な「カミ」に求める気にはなれませんが、かといってそれを見つけられないまま生きてきたのは間違いありません。
でも、分かりかけてきたこと・気づいたこともあります。
たぶん、一昨年同棲を始めて結婚してからは、「家族」なのだろうと思います。
別に今更ケンカをしたりはしないし、親には感謝しているけれど、自分が生まれ育った家にはそんな感情はありません。どちらかというとこの面に関しては弟の方に共感してしまいます。
独り身のころ、ムダに飲みに行きまくったり、いくらでも仕事をしていられたのは、友達と生徒に支えられつつも、本当の意味で大切にすべきものを何も持っていなかったからだと思います。
そんな状態で急に同棲し始めたものだから、ただでさえ休みがないのに家を空けてばかりのダメ旦那をしていたことには反省しています。あの頃は「家族」ってどういうものなのかが全然わかっていなかった。それと同様に、「仕事」の意味もはき違えていたように思います。
「本当に大切なもの」が一つあればいい。後のことは何とかなる。
そんな風に思えたことは、休職して得たケガの功名だと思います。
他にも大切なものは沢山あります。生徒が大切だし、学問を愛しているし、バスケと音楽が大好きです。これらをダメにしてしまったら、きっと家族も大切にできないと思います。
だから後はバランスと取捨選択を学ばなくてはなりませんね。少なくとも、がむしゃらになればいいような時期はとっくに終わったのだと思います。本当ならこんなことは30過ぎる前にとっくに学んでいなくてはならないことなのですが。いま思うと、若いころに忠告してくれた人は多くいた気はする。
とはいえ、それなりに頑張ってきたからこの期間にいいこともたくさんありました。
クラスの生徒が千羽鶴を折ってくれたり、保護者が手紙をくれたり、卒業生が会いに来てくれたり、クラスの生徒が家を訪ねてきたり、教え子が結婚式に呼んでくれたり。
そういった「本当に大切なもの」を守れるような生き方を身につけなくてはならないようです。
あの人見知りで偏屈で、南海キャンディーズの山ちゃんと「たりないふたり」なんてユニット名を冠していたほどの若林にも彼女ができました。
それに負けないくらい偏屈な僕の心も、素晴らしい奥さんやかわいい生徒たちに大分溶かされていったような気がします。
根拠はないけど、できる気がする。
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正月とクリスマスの料理
あけましておめでとうございます。
さすがに、正月から「休職してわかったこと」なんて書く気にはなれませんので、クリスマスと正月の料理日記を載せます。
クリスマス第1弾。ローストチキンとパエリヤ。
第2弾はもっと豪華に、ローストビーフやらカルパッチョやらビーフシチューやら。
これは近くのケーキ屋で購入。
そしてプチおせちを作って新年のお祝い。
奥さんは介護士なので今日も仕事です。朝、ささやかながら新年のお祝いと正月弁当を作り、送り出しました。
さて、今年は犬好きにはたまらない戌年です。何とかクソ職場を脱出できるよう、四月から職場復帰しても転職活動を頑張りたいですね。
今年もこのブログをよろしくお願いします。
休職して分かったこと②時が経つのは早い
To be or not to be,that is a question.
シェイクスピアの「ハムレット」に出てくる有名な辞句で、日本では「生きるか死ぬか、それが問題だ」と訳されますが、これは哲学的には「実存」と呼ばれる「いま、ここ」にあるか(ないか)という問題です。
これを小説にしたものとして、ジャン・ポール・サルトルの「嘔吐」が有名ですね。絶えず入れ替わる自己というものに「吐気」を催すというものです。
僕の生活を彼らに重ねるのはあまりに不遜ですが、休職して1ヶ月くらいした時、これを感じたのです。
仕事に行かなくなってから、とにかく感じたのは「1日が長い」ということです。
勤務中の月〜土曜は、朝8時くらいから雑務整理をして、ホームルームに行き、授業や採点、事務仕事などをこなし、放課後は部活や会議、それが終わって仕事してるとあっという間に8時(施錠時刻)で持ち帰り仕事もしばしば。日曜は半日やら1日やらの部活で午後も家のことやったり本読んだりしてればもう夜。
「早く一週間が終わってくれ」とか「はやく夏休みになってくれ」なんて思いながらも、一週間や一ヶ月があっという間に(その期間に休みは1日、良くても2日)終わります。これじゃ家のこともほったらかしになるわ。笑
翻ってそれがなくなり「専業主婦」のような生活が始まると、だらだらテレビを見ながら朝食を取り、犬の散歩に行き、掃除、洗濯やらをだらだら休みながらやっても、
「あれ、まだ午前中じゃん」
といった感触で、夕食の準備を始めるまでにたっぷりのフリータイム(だいたい読者かNBAを観て時間を浪費)です。
あまりのヒマさ加減に拍子抜けがしました。
それから3ヶ月が経ち、(かなりの手抜きを覚えましたが笑)同じようなことをしていても、
「あれ、もうこんな時間か」
と思うことが増えました。
二学期の初めに職場を飛び出しましたが、きづけばもう冬休みで仕事納め。師走もいいところの年の瀬です。
初めはこのヒマさからくる全能感に満ち溢れ、好きなだけ本を読み、ギターを弾き、名門校に絞った強気の転職活動(もちろん落ちた)、休日は奥さんとお出かけしたり、行けなかった新婚旅行に行ったりしていたのですが。
最近はやることがなさすぎて、それなのに1日があっという間で逆に病んでます。なんて贅沢な。笑
人間の脳は良く出来ているようで、すぐに順応して「元の感覚」を取り戻してくれる、要らん機能が備わっているようです。
結局、月日が経つのは早い。光陰矢の如し。
少年老い易く、学成り難し。
時間は大切に遣わないといけないな、といい歳して実感させられました。てなわけで、サボっていた文学の勉強を最近はまた始めています。
それにしても、流石に生徒や保護者がウヨウヨしてるところには行けないので、コメダ珈琲の喫煙室くらいしか行くところがないのが辛い。
ここから脱却しようと思い、2月にはアメリカに行くことにしました。「これが出来たら死んでもいい」と思っていたNBA観戦です。WOWOWで放送されないのを祈るばかり。笑
さて現実逃避もそろそろに、また勉強に取り掛かります。久々に読むガチの文芸評論はムズい。。