つひにゆく道

休職中の国語教師が教育・文学・音楽などについて語ります。料理と愛犬についても結構書きます。

君たちはどう生きるか

今話題になっている、「君たちはどう生きるか」と言う本について書きます。

 

 

君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか

 

 

 

1,930年代に書かれたこの本は、丸山眞男など日本を牽引した思想家たちにも大きな影響を与え、特に教育者の間ではバイブルのような存在となっていました。

 

あまりこの手の本は好きでは無いのですが、これを機に読んでみようと思い、購入。

 

主人公のコペル君は、周囲の友達との関係の中で、いろいろなことを学び、考えます。その考えたことについて、叔父さんがアカデミックな解説を加え、問い掛けていきます。

 

この本から学ぶ事は、「人生の諸問題を考えるには、科学的・哲学的な考察が必要であり、それは不可欠な教養」であると言うことです。

 

哲学者や科学者の名前がずらずらと出てくるような本は、理論武装の感があってあまり好きにはなりません。しかし、この本の著者、吉野源三郎さんは、そういった次元をはるかに超えて、きちんと自分の中で消化できている知識を使っているのだということを感じます。

 

かつての凝り固まった教養主義の学者が多かった中で、極めて特異な存在だといえます。

 

「生きるとはどういうことか」「生きていくときにどんなことが必要か」こういったことを語りたがる教師は多いです。と言うより、教えられるものならこういうことを教えなくてはいけません。

 

しかし、皆さんは、先生が話したそーゆー話を1つでも覚えていますか?

 

多分、ほとんどの人は何も覚えていないと思います。なぜなら、彼らが語っているのは生きると言うことではなく、単に自分の経験、思い出話だからです。基本的にあの年頃の生徒が、教員の美化された過去などに興味のかけらもあるはずがありません。オナニーです。

 

「自分の経験は他人には当てはまらない」ということを自覚できていない人間は、特に教員は本当に多いです。

 

これの最たる例は、僕が大嫌いで最も教員に向いていないと思っている、尾木ママです。大体、ヤンキー先生とか、オカマとか、そういった人たちをまるで教師の鏡のように扱って子供たちにどんな影響を与えたいのでしょうか。彼らが言っている事は、誰もが聞く前からわかっていることです。世間の悪意を煽り立て、増長する、モンスターペアレンツの生みの親のような存在です。もう70を過ぎているのだからとっとと引退して短い余生を静かに送って欲しいものです。

 

ついつい、話がそれてしまいました。

 

コペル君が日常疑問に感じたことを、経済学の理念や、ニュートンアインシュタインなどの科学史、ナポレオンの例など、広い教養で持って解決するのではなく、考えさせています。

 

学校の勉強は無意味、ビジネスに直結することを学校で学ぶべきだ、そういった考え方から脱却させてくれる本です。確かに、無教養な教員が授業を行えば、それの意味が分かっていないわけですから、無意味で空疎なものに聞こえるでしょう。

 

しかし、今時流行らない、学問や教養に深い魅力と憧憬を感じて欲しいのです。これが、社会に出る前だからこそできる学校と言う場の学問にふさわしいものだと思うのです。

 

漫画版も出ています、皆さんもぜひご一読してみてください。ちなみに、活字版は、最近出たハードカバーのものよりも岩波文庫のほうが安いです。笑

 

 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 
君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 

 

料理日記(お弁当と昼メシ)

やや間が空いてしまいました。この週末は、友達とバンドをやって、その後は日付が変わるまで飲んだくれていました。毎日教団ででかい声で喋って、元気な生徒たちに囲まれる日々を送っていたので、この生活になって本当に人と話さなくなりました、奥さん以外の人とはほとんど話していません。

 

やっぱり、昔からの付き合いの友達は、職場の人とは全然違います。彼らに会うと、どんなに仲が良くても、職場の人は所詮「職場の人」なのだなあと痛感させられます。なんで、自分の友達と会う時間を失いながら、そちらと一緒にいたのか全く理解できません。

 

さて、そんな愚痴はさておき、またまた今日も料理日記です。今日は奥さんが遅番なので、お昼ご飯と、夕食になるお弁当も作りました。

 

1、お弁当

 

先日100円ショップで、かわいい串を購入したので、最近お弁当によく使っています。今日は家におかずがあまりなかったので、ほとんど冷凍食品ですが、これがあるだけで華やぎます。唯一、作ったのは右下にあるベーコンのチーズ巻きです。最近お弁当作りが楽しくてたまらない。

 

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2.昼メシ

 

少し早めの昼食になるので、今日は軽くパスタにしてみました。手作りのエスニックパスタです。

 

茹で汁には塩たっぷり入れ、その間に、青唐辛子、細かく切ったウインナー、青梗菜、パクチーなどをごま油で炒め、軽く塩胡椒で味付けしときます。

 

麺が茹で上がったら、上のフライパンに、ゆで汁をおたまいっぱい入れ、炒めます。その時に、ナンプラーをたっぷり入れると、とても香ばしい上にエスニックっぽい感じになります。

 

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こんな感じで今日も平和です。外に遊びに行くのも楽しいですが、まだ仕事が始まったら家にいる時間が少なくなってしまいますので、僕にとっては昼食をして、ゆっくり家にいられるということが本当に幸せです。

 

 

先生、教員、教師。

今、嵐の櫻井くんが主演で、「先に生まれただけの僕と言うドラマ」が放送されています。

 

なかなか食ったようなタイトルで面白い。「先生」と言うのは読んで字の如く、「先に生まれた人間」です。まぁ、そもそもそういう意味の言葉ではない、ということは置いておいて。

 

少し、この呼称について考えてみたいと思います。

 

よく、自分のことを「先生」と呼ぶ人がいます。1人称が先生になっているのです。授業中でも、生徒と話すときでも、自分の名前は言わず、「先生は〜」といった感じで話すのです。

 

これには何か違和感があります。皆さんはそう思った事は無いでしょうか。好みの問題かもしれませんが、私はあまり好きではありません。

 

次に、「教員」と言う言葉ですが、これは職業を表す言葉ですから、僕も仕事を聞かれた時などには「教員」といいます。しかし、この言葉はあまり好きでは無いのです。

 

少しネガティブに考えがちなのかもしれませんが、何か無個性でつまらない人間のように聞こえるのです。少し冷たい響きのある言葉だと思います。

 

小さい子供が将来は教師になりたい、将来の先生になりたい、と言うならわかりますが、もし「教員になりたい」と言っていたら少し違和感があるのではないでしょうか。

 

無個性で、代替可能の存在として聞こえるこの言葉は、夢を表すにはふさわしくないような気がするのです。

 

最後に、「教師」と言う言葉はどうでしょうか。これを教え導く師匠と言う意味の言葉ですから、基本的には良い意味の言葉です。

 

しかし、こういう成り立ちであるために、自分のことを「教師」と呼ぶ人は、少し思い上がっているように聞こえるかもしれません。

 

それでも、自分のことを「先生」と呼ぶ人間や、「教員」という言葉を自分に向けて使う人は、ただ役割を演じているだけであって、個性をそぎ落とされた人のように見えてしまうのです。

 

代替可能の人間に、教わりたいと思う人はあまりないと思います。とは言え、これほどまでにサービス業と化してしまった学校教育は今この方向に向かっていこうとしています。

 

勉強を教えることよりも、「安心安全」の名のもとに、保護者に媚を売ることが良い教師の質として考えられている風潮が見られます。

 

自分は、生徒にとって師でありたいと思っています。また、師でなくては学問を教えるという崇高な営みを果たせないと思うからです。

 

そのため、僕は、矜持と自戒の念を込めて、生徒の前で自分のことを「教師」と言っています。それが生徒にとってどう映ってるかわかりませんが、少なくとも、「教員と」言う言葉が表すつまらない存在では無いんじゃないかなと思います。

 

ちなみに、「生」と言う字は、「生きる」と言う意味だけではなく、ある人のことを指す謙譲語として使われます。自分のことを指すときは「小生」といいます。これに「先」という字をつけて使っているのですから、「先生」という言葉は、これは尊敬語なのです。

 

例えば正岡子規の「歌よみに与ふる書」など、明治時代の文章を読むと、人のことを「生」と呼ぶ言い方は、数え切れない位出てきます。

 

その程度の学もない人は、「先に生まれただけの教員」で構わないと思います。

 

繰り返しの主張になりますが、そういう人は、授業ではなく事務仕事や部活動に活路を見出すべきだと思います。学生の時に基礎教養を身につけなければ、教員になってからそのレベルの勉強なんか出来るわけないのですから。

 

そういったことに時間を割かれず、教科指導に専念すると言えば聞こえはいいですが、それは自分の活動範囲を狭めることなので、その道のプロフェッショナルであることが求められます。

 

はてなブログTwitterを見ると、休職している先生や部活動に苦しめられている先生がこれほどまでに多いのかと驚かされます。

 

しかし、そのうちのどれだけが、教科指導のプロフェッショナルでいられるのか僕は甚だ疑問です。

 

なんだか話がそれてしまいましたが、自分は教師でありたいと思っているのです。そして、僕の勤務校には教師がほとんどいないのです。僕の学校だけが特殊と言う事はまずないでしょうから、非常に危うい事態だと感じています。

 

皆さんの周りには、また、皆さんの恩師には、どれだけの数の「教師」がいましたか?私の周りは先に生まれただけの教員ばかりです。

 

 

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

 

 

 

料理日記[お菓子編)

今日は遅番から帰ってくる奥さんに、夜食で甘いものを作ろう!と思い立ち、お菓子編です。

 

超簡単!リンゴのカスタードタルト

 

です。

 

カスタードクリームの作り方

 

 ①ふるった小麦粉15グラムと砂糖50グラムを混ぜます。

②そこに牛乳200 CCを加えよく混ぜます。

③さらに卵1個加えよく混ぜます。

④ラップをかけてレンジで2分30秒熱します。

一度取り出しよく混ぜます。

⑤さらに2分30秒熱し、バニラエッセンスを加えます。

 

これで超簡単にカスタードクリームが作れます。

 

カスタードタルトの作り方

 

①冷凍のパイ生地を杯の形に合わせてはりつけます。

     ※余った部分はアプリ使うのでとっておいてください。

②生地の上にカスタードクリームを並べます。

③その上に砂糖で煮て水分を飛ばしたりんごを並べます。

④後はオーブンで200度に予熱し、20分ぐらい焼けば完成です。

 

出来上がりはこちら。

 

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同時進行で手際よく作れば、1時間もかかりません。是非試してみてください。奥さんはめっちゃ喜んでくれました。

 

めでたしめでたし。

 

 

お弁当日記

たまに載せていますが、休職中なので奥さんが仕事のある日にはお弁当を作っています。

 

しかし、先日ハロウィンの料理で載せたように、盛り付けのセンスが全くないので、初期の頃はこんな運動部の男子のようなお弁当を作っていました。

 

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Twitterなどで、フォロワーの方にアドバイスをいただいたところ、黄色や緑や赤を入れるととても華やかになると言うことでした。さらに、今まで目に留めていなかったのですが、100円ショップのスーパーにも簡単な盛り付けグッズがたくさん売られていました。そうすると少しは見られるように。こちら。

 

こーゆーのって、自分が必要な状態にならないとなかなか気がつかないものですよね。ということで、第二段階がこんなものを作ってみました。

 

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少しは進歩したと思います。

 

しかし、冷凍食品に頼ると、揚げ物やひき肉の煮物が多いので、どうしても色が暗くなります。そこで今回は、冷凍食品は一切使わず全て自分で作ってみました。それがこちらです。

 

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少しは進歩したでしょうか。感想やアドバイスなどいただけるとうれしいです。しかし、それにしてもゆっくり料理ができるというのはとてもいいですね。お弁当作りと言うのはなかなかに楽しいものです。これは仕事に復帰しても続けてもいいかなと思います。

 

簡単なキャラ弁とか是非教えてください。

 

 

てんきち母ちゃんの 朝10分、あるものだけで ほめられ弁当

てんきち母ちゃんの 朝10分、あるものだけで ほめられ弁当

 
必ずかわいく作れる キャラ弁の教科書 ― はじめてでもカンタン! (暮らしニスタBOOKS)

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「分かりやすい」授業

評価の高い先生の授業は、一般的に「わかりやすい」授業として紹介されます。もちろんわかりにくい授業よりも「わかりやすい」授業の方が良いのは当然です。

 

しかし、この「分かりやすい」という言葉について深く考えてみると、危険な落とし穴が見えてくるのです。

 

この「分かりやすい」と言う言葉は、あまりにも一般的になりすぎたため、生徒はとても広い意味でこの言葉を使います。しかし、一般的な意味での「わかりやすい」、つまり明快であるということは、決して技量が高いという評価ではなく、授業の最低ラインであるのは言うまでもないことです。

 

学問と言うのは、深遠で魅力的なものです。陳腐な言い方かもしれませんが、わからないからこそ面白いのです。しかし、全くわからないことばかり学んでいくと言うのは、あまりにも生徒にとって負荷が大きすぎます。

ですから、よく考えなければわからないけれども、よく考えれば少しずつわかるようになるというのが本来の魅力的な授業であるはずです。

 

また、中学生や高校生の生徒のレベルでは、知っているはずのないようなこともありますから、教科書に載っているような話題であっても、専門的な知識がないとわからないようなことを教えてやるのが、教師の本来の役割の1つであるはずです。

 

「眼光紙背に徹す」という言葉がありますが、教師は書かれた文字の裏側にある、壮大な背景まで読めていなくてはいけないのです。いけないというより、そうでなくてはつまらないのです。

 

しかし、まず世の中には授業力のない教員が多すぎます。皆さんも経験があるでしょうが、何を言ってるのかさっぱりわからない、仮にそれなりのレベルの話をしていたとしても、この人の授業はあまりにもつまらなくて全く聞く気が起きない、そのような授業をよく目にしてきたはずです。むしろ、面白い授業よりも、このような授業の方が圧倒的に多かったのではないでしょうか。

 

そのため、ただ教科書に載っているだけのことを、簡潔で「わかりやすく」説明するだけで良い授業と評価されてしまうようです。塾やn流「進学校」のエース講師などはこの傾向があります。今では、予備校のエース講師はそのような低レベルな授業をしていません。

 

ですから、教員がこのような授業を学校でしていては、予備校のほうがレベルが上だと思われても仕方がありません。現に、ほとんどの生徒は、「学生の頃塾の先生をやっていた」というと、「すげー」という反応をします。学校の教師はなめられているのではなく、本当に下なのです。

 

そしてこの、「分かりやすさ」をもう少し具体的に見てみると、「噛み砕く」と言う言葉がよく使われます。「噛み砕いてわかりやすく」という言葉はよく聞きますね。

 

しかし、この「噛み砕く」と言う言葉はとても厄介なものです。なぜなら、学習する内容にはとても深い背景があったり、実は非常に難解なものも多いのが事実です。ですから、その理解を目指すためには、そのようなものを切り捨てることがなかなか難しく、ましてや、それを凝縮して話すならば相当に難しいことです。

 

しかし、このような内容は優秀な教師にとっても難しいのですから、低レベルの教師は知らない・理解できないどころか、「そのような世界が存在するということすら予想できない」と言うことが実は往々にしてあるのです。

では、そのような教師が授業する際には何を行うのでしょうか?

 

噛み砕くのではなく、切り捨てるのです。

初めから難しい部分は話さず、簡単な部分だけを話すのです。

 

そして、本来ならば、生徒の知的好奇心を刺激するような魅力的な内容には触れず、自明なことだけを語り続けるのです。

 

初めから分かって当然のことしか話さなければ、「分かりやすい」のは当然です。教科書に載っていることを表面的な解説しかしなければ、優秀な生徒は、自分で教科書見ればわかりますから、授業を聞く気もしません。

一方で、好奇心を刺激されないのですから、勉強が苦手な子や勉強が嫌いな子は、いつまでたっても興味がわかず、を勉強つまらないものだと思い続けてしまうのです。

 

現に、本屋さんに行って「月刊国語教育」などの教育関係の雑誌を読んでみると、「授業実践」と称してこの程度のレベルのものを紹介している代物がとても多く見受けられます。これは確かに、やり方は新しいかもしれませんが、内容的にはごまかしに過ぎないのです。これはもはや授業ではなく、ゲームです。学問に対しての興味など湧いてくるはずもありません。

 

自分の時間を犠牲にして、授業研究に声を出している人ですがこのような有様なのです。さらに、公立の学校の多くを占める地方国立大学教育学部ですが、彼らを指導する先生たちも、所詮は大したレベルの大学ではありませんから、あまり研究者として優れていない人が多いです。ただ、就職なんかできそうにもない人が傷をなめあうために、大学院に残って研究続けていた、という程度の輩たちが、運良く就職口を見つけて、無意味な論文を書き続けている、というのが9割です。

 

ですから、このようなゲームのようなレベルのものを「革新的な授業」と称して教え、大したレベルではない学生たちが、大したレベルではない教員となっていくのです。そして彼らに指導を受けた生徒たちは、教師に対して憧れなど抱くはずもありませんから、優秀な人は教員を目指す事は無いのです。

こういった現場が一般的で、それなりに学識のある人が教員となっても、周囲の人々に阻害され楽しい授業をすることがどんどんどんどん難しくなっていくのです。相当に強固な負のスパイラルが頑丈にできあがっているのです。

 

実際に、大学生の方は教職の授業をのぞいてみてください。人前でオナニーしあうのが好きな変態たちが主導権を握っています。「あの空気」がいやすぎて、「教職辞めた」という人はたくさんいます。

 

本来、学問と言うのは万人に平等なものです。ですから、生徒が先生の言うことにケチをつけたり、異議を唱えたりしても構わないのです。むしろそれを好機と捉え、やる気を失わせない上手な反論や、まだ生徒が見えていない点を教えてあげることによって、対話的で魅力的な授業が出来上がっていくのです。

 

そのような素養を持たない人間が、活動的な事業、いわゆるアクティブ・ラーニングを実践してみたところで、「生徒が話をしてもよい形での自習」に成り下がるのです。

 

学問に関して言えば、生徒と先生の力関係と言うのは、校則や権力の後ろ盾に保障されたものではなく、普段の指導の中で、自分よりも教師の方が上なのだということを生徒自身が自覚することで成り立つものです。

 

実際に、僕は自分の在籍していた中学校の授業を受けて、先生たちが自分より頭が良いと思った事は1度もありません。若気の至りでそう思っていたのではなく、それなりに教育的知識を手にした今でも全く変わらずそう思っています。

 

自分と同じレベル、下手をすれば、自分より知識や教養で劣った人間に教わると言うことほど不幸な事はありません。そのような人間が、「勉強しなさい」と言ったところで、誰が勉強する気になるでしょう。「勉強した結果、あんたみたいなるならやらねーよ」と思われてしまうのではないでしょうか。

 

現在では、細かくルールを決めて、「しつけ」をする教育がメジャーになっています。もちろん教育に「しつけ」は不可欠ですが、動くのは生徒自身です。「やらされる」というのは意識であって、行動の実態ではありません。

 

「しつけ」によって達成されることは、これをすると怒られるからやってはいけない、という類のものであり、法律を守るなどといった場面についてのみ有効な教育なのです。

 

勉強してみよう、スポーツを楽しむ、友達を大切にしよう、などなどこういった類の事はしつけではなく、「感化」によってもたらされるものです。

 

先生の授業受けて、勉強でとても好きになった。面白いと思えるようになった。その分野についてより興味がわいた。自ら学んでみようと思いそして実際に学んだ。ここまで達成できてこそ、授業と言うのは真に実があるものになったと思うのです。

 

なかなか理論化・数値化できるものではありませんが、生徒がどれだけ感化によって動いているかという指針で測りなおすと、現在「いい先生」だと思われている人のほとんどは、「詐欺師」に見えてくるかもしれません。

 

 

残念な教員 学校教育の失敗学 (光文社新書)

残念な教員 学校教育の失敗学 (光文社新書)

 
教師の資質 できる教師とダメ教師は何が違うのか? (朝日新書)

教師の資質 できる教師とダメ教師は何が違うのか? (朝日新書)

 

 

教育無償化と教員の働き方改革

今ニュースなどで高等教育無償化や教員の働き方改革が報じられています。

そこで、今日はこの問題について考えてみたいと思います。僕にはこの議論は不毛で、非常にズレているように感じるのです。

 

1.教育無償化について

2.働き方改革について

3.まとめ 

 

1.教育無償化について

 

まず、教育無償化についてですが、これは幼児教育から高等教育まで幅広く議論されていますので、とりあえずは私の関わっている「高校」の無償化について考えたいと思います。

 

ニュースではいかにも中等・高等教育には金がかかる、というように言われていますが、すでに県立高校では収入に応じて給付金が払われるので、低収入世帯には無償化が実現されています

 

そして、さらに多くの私立高校では特に進学校や進学コースにおいて、またスポーツなどの分野においても、優秀な子には特待コースが用意され、無償化や又は半額免除等の奨学金が支給されています。

 

つまり、収入が低い世帯の子や、優秀な子に対してはある程度お金がなくても質の高い教育を受ける制度はそれなりに整っているのです。もちろんアメリカや欧米諸国と比べれば足りない面もたくさんありますが。

 

「塾や予備校に行く」ことが前提なのでしょうか。今は問題集・参考書もずいぶん充実していて、「進学校」では結局それを使って授業をしています。自分で勉強すればいいのではないでしょうか。

 

では、これで無償化が実現した場合、いったいその恩恵を受けるのはどういった子なのでしょうか。

 

こういった現状である以上は、結局のところ、やる気のないものや学力の低いものが得をするのではないでしょうか。確かに、多くの人間が教育を受けられると言うのはメリットがあるように感じますが、日本の学生はさほど勉強に意欲的ではないものがほとんどです。これに対して国がフォローする必要はあるのでしょうか。

 

普段授業をしていて感じることですが、寝ている者や勉強しないものが多いと、当然全体のモチベーションが下がります。

 

日本は、やる気のないものや学力の低いものを伸ばすのが教師の役割だと言う悪しき通念がありますから、これを何とかさせようと努力します。「やる気」とは何か、深く考えたことはあるのでしょうかね。

 

しかし、それは、本来国を挙げて投資すべき、能力の高い子ややる気のある子を見捨てているのと同じことなのです。

 

これは税金の無駄遣いと言うしかありません。日本の将来を考えると、これはとても危険な事態だと言わざるを得ません。

 

とは言え、現代においては、高校は実質的に義務教育と化していますから、これに門戸を開くのはそれほど悪いことでは無いかもしれません。いくら学力が低いからといって中卒でみんな働かせるわけにはいかないでしょう。

 

しかし問題は、高等教育である、大学にまでそれを広げてしまって良いのかという点です。

 

これを言うと批判にさらされることも多いのですが、僕はざっくりと、偏差値50以下の大学は世の中に必要ないと思っています。なぜボーダーフリーの大学に高い金を出して入るのか?突き詰めれば、「働きたくないだけ」だと思うのですが。

 

偏差値だけでくくれるわけではありませんが、日本の大学生はあまり勉強せず、就職する前のモラトリアムとしての時間を過ごしていることが多いです。

 

そしてさらに、日本の大学教員の質も非常に低く、授業もほとんど成立しないものが多いので、勉強したい大学生にとっては、授業以外の場所に、例えば研究会などに活路を乱す人が多いのです。先程の例と同じように、きちんと勉強したい学生にとってはモチベーションを下げられる要因が多すぎるのです。

 

ですから、現代において大学を卒業したと言うのは、就職活動の入り口の切符を掴むと言うだけで、教育機関として機能していない面が多いのです。教育学部でやっている授業を見ればわかります。採用試験の予備校になっているか、現実とかけ離れたゲームのような授業をやっているだけです。

 

そして、いま日本は高齢化社会に悩まされています。これから少子化のあおりを受けてどんどん子供の人口が減ってきます。生産人口も減っているので、多くの企業などでは人手不足に悩まされています。

 

それだったら、当たり前のように皆が大学に行く社会ではなく、高校卒業した後に働いて、優秀な一部のものが大学に行くような社会を作ればいいと思うんです。いま、欧米諸国でも少子化によって、大学はかつてのエリート教育の機能が失われ、モラトリアムになりつつあります。

 

かつての欧米の大学のように、学力の高いものにはきちんとフォローしてそれで大学に生かせればいいと思うのです。皆が大学に行く必要などありません。 

 

2.働き方改革について 

 

そしてさらに働き方改革についてですが、率直に言って、今なされている議論はほとんどが不毛なものです。「学校」というシステムが変わらない限り、少し小細工をしたところで抜本的な改革にはなるはずがないからです。そして確かに忙しすぎる、業務量が多すぎると言うこともありますが、それよりも多くの教員を悩ませるのはストレスなのです。そして無駄な仕事ばかりしていると言う徒労感なのです

 

この現場に対してとるべきは、

 

①教員ではなくて事務職員を増やす

②保護者にビクビクせず、夜遅くまでの指導の要求や、理不尽なクレームに対しては上がきちんと反論し寄せ付けないようにする。

コンサルタントなどを利用し人事にメスを入れる

 

これについてもう少し詳しく説明していきたいと思います。

 

①について、以前から言われていることでありますが、日本の教員は忙しすぎます。勉強を教えるのはもちろんのこと、生徒のケア、様々な雑務つまり事務作業、スポーツのコーチ、等々免許がなくてもできる仕事が多すぎるのです。

 

この状況に対して教員を増やしたところで、現場が混乱するのは目に見えていますし、単純に人を増やしただけでは解決できない問題が多すぎるのです。教員を増やしたところで10年後には子供が減ってリストラの議論が出てくるのがオチです。

 

現在の学校の事務職員は、会計の管理など学校全体の業務を担当していて、それだけで一般職とは思えない位の忙しさになっています。ならば、事務職員を増やして、教員が事務作業に追われないようにするシステムを作るべきだと考えています。

 

例えば出欠の管理、遠足や修学旅行の準備、PTA総会等の準備上は教員でなくてもできるはずです。事務職員が増えれば雑務処理などの負担はかなり軽減されると思います。先見の明がある学校ではこれらはすでに自動化・外部委託されています。

 

②についてですが、20年から30年位前の先生の姿を思い出していただければわかると思いますが、昔の先生はとても楽でした。そしてその質の低い教員が高い賃金で楽をしすぎる現場に対して、批判の声が上がってきて、どんどん教員の業務が増えていき、モンスターペアレンツなどという言葉もその頃に誕生しました。

 

確かに、かつての無能な給料泥棒のような教員は許せない存在だと思いますが、しかし一方で、きちんと空いた時間があり余裕があるからこそ、授業の準備や自己研鑽に励むこと、部活動の指導にしっかりと励むこと、などができたのです。

 

これらは当然、現代においても大切なことですが、こういったことに時間をさけない現状が問題なのです。ここまでしなくても良いのではないか、まるで「子守り」のようになっていないか、教員が「メイド」のようになっていないかと感じるまでに面倒見の良い状態が生まれています。

 

これは、子供だからと言う理由で生徒には何も責任を負わせない(つまり、人間として認めていない)、そして上の人間が保護者に平身低頭でビクビクしていることから発するものも多いと思います。

 

担任の教師や、管理職等が理不尽な保護者に対して強く出たところで、教育委員会文部科学省またメディアなどにその問題が取り上げられれば、自分の学校だけでは手の届かないところで大騒ぎになってしまいます。(余談ですが、教育実習生に対して「保護者からクレームが来るから生徒を叱らないでくれ」なんて「指導」をする学校も結構あります)

 

まぁ、基本的に現場を捨てた人間や現場では活躍できないような、どうしようもない人たちが上に立つのが現状ですから、ある程度は仕方ないことなのですが、文部科学省教育委員会がきちんとわけのわからない保護者を突っぱねられようになれば、われわれはビクビクせずに気持ちよく働くことができるのです。

 

その上で、怠惰な教員や体罰を行う教員など、問題のある教員に対して処分はきちんとすればさほど不満もたまらないと思います。

 

さらに③についてですが、学校教育の現場には人事のプロが存在しません。せいぜい、最近台頭している公立の中高一環後に能力の高い教員を回そうとしているというくらいです。だから、ろくな形での評価はされず、「内輪」で進んでいきます

 

そしてよく言われてることですが、学校と言うのはみんなで「平等」に進めていくと言う暗黙の了解がありますから、みんなが仕事を持つことになります。だから何も決まらず、何も進みません。そして無能な人間は、全然仕事が進まず、結局は能力のある教員のもとに雑務がどんどんどんどん回されていくのです。

 

そのため、本来は授業や部活動などでパフォーマンスを発揮するべき教員が、雑務の処理に追われ、それでも授業や部活動などに精を出すとどんどん疲弊していくシステムが生まれています。

 

その一方で、やる気のない人間は涼しい顔して早い時間に家に帰って行きます。そういう人は生徒からも全く相手にされませんから、生徒の面倒も忙しい先生が見る羽目になるのです。

 

これに対してはコンサルタント等の外部の機関を利用し、人事にメスを入れるべきです。指導力の高い教員は授業などにある程度専念できるように、そして、質の低い教員は、事務職員のように雑務をどんどん担当させればいいと思うのです。全員の負担を軽くする必要はありません。働く人の負担を減らし、怠ける人の負担を増やせばいいのです。

 

生徒以下の学力の者に授業を多く持たせたり、嫌々すわって偉そうに能弁垂れているだけの人に部活動を持たせたりする必要はありません。生徒が恩恵を受けられるような形で改革を進めるべきだと思っています。

 

3.まとめ

 

結局のところ、「みんなが平等に」と言う、「平等性」と言う言葉を左翼的な解釈で履き違えた価値観から、様々な問題が生まれているのです。

 

学校教育は家庭教育とは違います。わが子に無償の愛を注ぐのではなく、国としての国家100年の戦略が求められるものです。

 

下ばかりを見て上を見捨てるのではなく、国や組織として、人手を使うべきところにきちんとお金とマンパワーを使っていけば、それなりに働きやすくなると思います。そして子供たちが、恩恵を受けられる社会へと変わっていくでしょう。

 

タイムカードとか免許更新とか残業代がどうとか、何の意味もないですよ。

 

 

ブラック部活動 子どもと先生の苦しみに向き合う

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ブラック化する学校 (青春新書インテリジェンス)

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