つひにゆく道

休職中の国語教師が教育・文学・音楽などについて語ります。料理と愛犬についても結構書きます。

休職してわかったこと③継続は力なり

どーもこんにちは。今日もコメダ珈琲で読書をしています。情感が読み終わったので、気分転換がてら、ブログを執筆。

 

「継続は力なり」というのは、いろいろなところで囁かれている言葉で、基本的には良い意味で使われる言葉です。(最近は、部活動を強制することの弊害を語る際にもよく使われてしまっていますが)

 

 

僕も含め多くの人は、「途中で止める」ことを不徳と見なし、「継続する」ことを美徳と考えているようです。

 

もちろんその通りですが、しかしこれは、多くの無駄を生んでしまっていることも事実です。それどころか、多くの「ムダ」に押しつぶされながら働き、やりがいを失わせてしまうような恐ろしいものでもあります。

 

例えば、放課後に五分の小テストを始めてみても、効果が上がらなかった、と想定(ではなく実際にあるけど)します。

 

学校と言うのは、これをやめることをしないのです。

 

確かに、生徒に無意味なことをさせてしまったと認めることになりますから、教師としてはあまりかっこいいことではありません。

 

しかし、だからといって、意味のないものをやらせ続けるのは、もっともっとかっこ悪いことです。指導者としては恥ずべき失態です。

 

生徒を表面上は「やる」けれども、どんどんやる気を失っていきます。

 

そうして教員は何とかしようともがき、たった「五分」の時間に見合わないような時間と労力をかけてテストを作ったり、生徒のやる気が出ない原因は自分が「継続」していることなのに、生徒を叱責したり、5分のテストを2倍、3倍に延ばしたりします。

 

早く帰りたがってる放課後の時間にそんなことしてもがくより、普段の50分の授業の中にその五分を作る工夫をした方がどれだけ効率的でしょう。

 

就職するまでの7年間、多くの友人からお前は働きすぎだと言われました。実際にその通りだと思います。

 

これは、「撤退する勇気」がなかったから起こってしまったことかもしれません。

 

自分の決定で、変えられることばかりでは無いですが、前の担当者がやっているからといってそれを引き継がない、周りの教師がやっているからといって流されない。

 

そのような勇気を持った指導者が結局は、生徒から尊敬されるんではないかと思います。

 

これでも割と突っ張っている方なので、他の教員に比べれば、無意味だと思った事はやらない、または適当にある、と言う姿勢でやってきました。

 

しかし、周囲に忖度し、中途半端に薄まってしまったものを与えては、その効果は半減どころか激減します。前回のブログにも書いたように、本当に大切なもの、それは家族と生徒なのですから、今更周りのクズみたいな人間にどう思われようと知ったことではありません。貫く勇気を持たなくてはならないと思います。

 

しかし、効果がないからといって撤退する必要がないものがあります。それは、「好きなこと」です。

 

「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、継続すれば(人より上になれるかはわかりませんが)力にはなります。よほど間違った方法でなければ下手にはなりません。

 

僕が好きなものは文学とバスケと音楽と料理です。この中で普通の人より実力があるだろうと言えるのは料理だけです。笑

 

でも、読むのが遅くても、体が細くても、不器用で音感がなくても、10年続ければ、まあその辺のやつに負けない(少なくとも肩を並べられる)くらいにはなれるものです。

 

そんなわけで何とか生きていけるし、まあ職場の底辺で無能な先輩教師にしがみつくような生き方はしなくてもいい程度にはなれたわけです。

 

結局、これなんだよな。好きなことは、本当に好きなら下手でも続けられる。だから、真っ先に目指すのは生徒に勉強を好きにさせることだし、自分自身が勉強の楽しさに目覚めることです。

 

僕の勤務校くらいのレベルの学校ならば、それさえ達成できれば、まあそれなりに生徒はついてきてくれます。点数や偏差値の形で結果も出ます。国語のテストの点数なんて、その時の気持ち次第で大きく変わります。

 

周りの教員はそういう視点でものを見ないからあまり評価されませんが。されたくもない。

 

「継続が力になっているのか?」と見つめ直し、なっていないものはどんどん廃止・変更していこうと思います。

 

授業外の小テストは原則やらない。宿題はそもそも全員がしっかりやるはずないのだから、全員強制の回と希望制の回に分ける。

 

長期休みの課題は読書課題(生徒が遊びに行けば行くほど、その移動時間で宿題の読書ができる、というカラクリ)しか出さず、あとは希望制。強制の宿題だけやって長期休みにパワーアップして帰ってきた奴なんか見たことないもん。

 

その代わり、授業の予習は撤退させる。(僕の勤務校では、「予習は必要ない」と言い切る先生が沢山います。そんなに自分が教えたいのか、教科書以上のレベルを知らないからされたら困るのか。予習なしで源氏物語とか微分積分とか理解できるわけないだろう、、、。)

 

でもテストは激ムズ(僕のテストは「死のテスト」と呼ばれています。だって、勉強しなくてもできるテストで平均点高くても何の意味もないですから。)

 

補習は自分で質問に来ないかぎり、一切やらない。その代わり来たら何時間でも付き合う。

 

授業準備は論文読み漁って徹底する。(無駄が多いまま、これを続けてたから忙しかったんだよなあ)。

 

そんなところですかね。こんなの当たり前じゃん、って思われるかもしれませんが、「やらない」ことが極端にやりづらいんですよ学校は。

 

 

とりあえず今回学校を飛び出したことで肝は据わった。復職してもやらかしまくってやるぜ。