つひにゆく道

休職中の国語教師が教育・文学・音楽などについて語ります。料理と愛犬についても結構書きます。

人間のイメージ

「人は見た目によらない」とも言いますし、「人は見た目が9割」とも言われますが、僕はどちらかといえば後者の方。

 

見た目と中身がある程度一致する、という経験が多いからです。もちろん、ギャップに驚かされることも多いですが。

 

これは悪いことではなく、例えば学校でも学力や生活態度など、ある程度見当をつけたほうが「先入観ゼロ=何も分からない状態」よりもよっぽど関わりやすいからです。違ったら修正すればいいだけのこと。生徒も先生のことをそのように見ている人も多いはず。

 

ところで、先日僕のところにせいとから千羽鶴が届いたと書きましたが、それと一緒に手紙も何人かが書いてくれたのですが、どうやら僕は、

 

生徒の間では「骨肉腫」という噂が立っているようです。笑

 

これには笑った。次会うときには義手や義足になっているオレを想像しているのでしょうか。笑

 

「病室のベッドの上にいる先生は想像できません」とか「病室で同室の人にキレないでね」とか書かれていました。笑

 

休職するくらいのストレスを抱えて、毎日頭痛薬飲んでぼんやりする頭で学校に通っていたわけですが、

 

誰一人僕が心を病むとは考えていないようです。笑

 

それを痛感したのは、いま通っている復帰プログラムでのこと。いくつかの中から選べるのですが、ビジネススキルや対人スキルが病院で学べるとは到底思えないので、体力を戻すことを目指し、スポーツの部に参加しているのですが。

 

服装やコミュニケーションが、世の常識とズレ過ぎていて驚かされるし、はっきり言って自分もその一員だとは受け入れられません。

 

こういう考えは良くないのですが、仕事には結果が求められる以上、その全てを受け入れて、自分がフォローしようとは思えないし、その必要性も感じません。

 

福利厚生の恩恵に授かっている身なので、口幅ったいことは言えませんが、「こうはなるまい」というのが実感です。

 

実社会から切り離された場で、リーダーのような振る舞いをしたり、「常連の顔」で立ち回ることにあまり意味があるとは思えません。

 

社会システムの責任と、自己責任の部分は分けて考えないといけませんね。

 

心のバランスを保つためには「見た目に惑わされない」「他者の評価は気にしない」ということも必要ですが、それもゼロサムではなく、ある程度秤にかけながら生きて行くことも必要だなあと、学びました。

 

しかし病院とか役所とか教員とか、公共事業にはあまり面白い人はいないなあ、と実感させられます。

 

ここでは新たな価値観を学べそうもないので、思い切って2月にはアメリカに行くことにしました。教員をしながらでは実現できない「生でNBA」を観るという夢を叶えてから復職しようと思います。

 

 

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