つひにゆく道

休職中の国語教師が教育・文学・音楽などについて語ります。料理と愛犬についても結構書きます。

教育無償化と教員の働き方改革

今ニュースなどで高等教育無償化や教員の働き方改革が報じられています。

そこで、今日はこの問題について考えてみたいと思います。僕にはこの議論は不毛で、非常にズレているように感じるのです。

 

1.教育無償化について

2.働き方改革について

3.まとめ 

 

1.教育無償化について

 

まず、教育無償化についてですが、これは幼児教育から高等教育まで幅広く議論されていますので、とりあえずは私の関わっている「高校」の無償化について考えたいと思います。

 

ニュースではいかにも中等・高等教育には金がかかる、というように言われていますが、すでに県立高校では収入に応じて給付金が払われるので、低収入世帯には無償化が実現されています

 

そして、さらに多くの私立高校では特に進学校や進学コースにおいて、またスポーツなどの分野においても、優秀な子には特待コースが用意され、無償化や又は半額免除等の奨学金が支給されています。

 

つまり、収入が低い世帯の子や、優秀な子に対してはある程度お金がなくても質の高い教育を受ける制度はそれなりに整っているのです。もちろんアメリカや欧米諸国と比べれば足りない面もたくさんありますが。

 

「塾や予備校に行く」ことが前提なのでしょうか。今は問題集・参考書もずいぶん充実していて、「進学校」では結局それを使って授業をしています。自分で勉強すればいいのではないでしょうか。

 

では、これで無償化が実現した場合、いったいその恩恵を受けるのはどういった子なのでしょうか。

 

こういった現状である以上は、結局のところ、やる気のないものや学力の低いものが得をするのではないでしょうか。確かに、多くの人間が教育を受けられると言うのはメリットがあるように感じますが、日本の学生はさほど勉強に意欲的ではないものがほとんどです。これに対して国がフォローする必要はあるのでしょうか。

 

普段授業をしていて感じることですが、寝ている者や勉強しないものが多いと、当然全体のモチベーションが下がります。

 

日本は、やる気のないものや学力の低いものを伸ばすのが教師の役割だと言う悪しき通念がありますから、これを何とかさせようと努力します。「やる気」とは何か、深く考えたことはあるのでしょうかね。

 

しかし、それは、本来国を挙げて投資すべき、能力の高い子ややる気のある子を見捨てているのと同じことなのです。

 

これは税金の無駄遣いと言うしかありません。日本の将来を考えると、これはとても危険な事態だと言わざるを得ません。

 

とは言え、現代においては、高校は実質的に義務教育と化していますから、これに門戸を開くのはそれほど悪いことでは無いかもしれません。いくら学力が低いからといって中卒でみんな働かせるわけにはいかないでしょう。

 

しかし問題は、高等教育である、大学にまでそれを広げてしまって良いのかという点です。

 

これを言うと批判にさらされることも多いのですが、僕はざっくりと、偏差値50以下の大学は世の中に必要ないと思っています。なぜボーダーフリーの大学に高い金を出して入るのか?突き詰めれば、「働きたくないだけ」だと思うのですが。

 

偏差値だけでくくれるわけではありませんが、日本の大学生はあまり勉強せず、就職する前のモラトリアムとしての時間を過ごしていることが多いです。

 

そしてさらに、日本の大学教員の質も非常に低く、授業もほとんど成立しないものが多いので、勉強したい大学生にとっては、授業以外の場所に、例えば研究会などに活路を乱す人が多いのです。先程の例と同じように、きちんと勉強したい学生にとってはモチベーションを下げられる要因が多すぎるのです。

 

ですから、現代において大学を卒業したと言うのは、就職活動の入り口の切符を掴むと言うだけで、教育機関として機能していない面が多いのです。教育学部でやっている授業を見ればわかります。採用試験の予備校になっているか、現実とかけ離れたゲームのような授業をやっているだけです。

 

そして、いま日本は高齢化社会に悩まされています。これから少子化のあおりを受けてどんどん子供の人口が減ってきます。生産人口も減っているので、多くの企業などでは人手不足に悩まされています。

 

それだったら、当たり前のように皆が大学に行く社会ではなく、高校卒業した後に働いて、優秀な一部のものが大学に行くような社会を作ればいいと思うんです。いま、欧米諸国でも少子化によって、大学はかつてのエリート教育の機能が失われ、モラトリアムになりつつあります。

 

かつての欧米の大学のように、学力の高いものにはきちんとフォローしてそれで大学に生かせればいいと思うのです。皆が大学に行く必要などありません。 

 

2.働き方改革について 

 

そしてさらに働き方改革についてですが、率直に言って、今なされている議論はほとんどが不毛なものです。「学校」というシステムが変わらない限り、少し小細工をしたところで抜本的な改革にはなるはずがないからです。そして確かに忙しすぎる、業務量が多すぎると言うこともありますが、それよりも多くの教員を悩ませるのはストレスなのです。そして無駄な仕事ばかりしていると言う徒労感なのです

 

この現場に対してとるべきは、

 

①教員ではなくて事務職員を増やす

②保護者にビクビクせず、夜遅くまでの指導の要求や、理不尽なクレームに対しては上がきちんと反論し寄せ付けないようにする。

コンサルタントなどを利用し人事にメスを入れる

 

これについてもう少し詳しく説明していきたいと思います。

 

①について、以前から言われていることでありますが、日本の教員は忙しすぎます。勉強を教えるのはもちろんのこと、生徒のケア、様々な雑務つまり事務作業、スポーツのコーチ、等々免許がなくてもできる仕事が多すぎるのです。

 

この状況に対して教員を増やしたところで、現場が混乱するのは目に見えていますし、単純に人を増やしただけでは解決できない問題が多すぎるのです。教員を増やしたところで10年後には子供が減ってリストラの議論が出てくるのがオチです。

 

現在の学校の事務職員は、会計の管理など学校全体の業務を担当していて、それだけで一般職とは思えない位の忙しさになっています。ならば、事務職員を増やして、教員が事務作業に追われないようにするシステムを作るべきだと考えています。

 

例えば出欠の管理、遠足や修学旅行の準備、PTA総会等の準備上は教員でなくてもできるはずです。事務職員が増えれば雑務処理などの負担はかなり軽減されると思います。先見の明がある学校ではこれらはすでに自動化・外部委託されています。

 

②についてですが、20年から30年位前の先生の姿を思い出していただければわかると思いますが、昔の先生はとても楽でした。そしてその質の低い教員が高い賃金で楽をしすぎる現場に対して、批判の声が上がってきて、どんどん教員の業務が増えていき、モンスターペアレンツなどという言葉もその頃に誕生しました。

 

確かに、かつての無能な給料泥棒のような教員は許せない存在だと思いますが、しかし一方で、きちんと空いた時間があり余裕があるからこそ、授業の準備や自己研鑽に励むこと、部活動の指導にしっかりと励むこと、などができたのです。

 

これらは当然、現代においても大切なことですが、こういったことに時間をさけない現状が問題なのです。ここまでしなくても良いのではないか、まるで「子守り」のようになっていないか、教員が「メイド」のようになっていないかと感じるまでに面倒見の良い状態が生まれています。

 

これは、子供だからと言う理由で生徒には何も責任を負わせない(つまり、人間として認めていない)、そして上の人間が保護者に平身低頭でビクビクしていることから発するものも多いと思います。

 

担任の教師や、管理職等が理不尽な保護者に対して強く出たところで、教育委員会文部科学省またメディアなどにその問題が取り上げられれば、自分の学校だけでは手の届かないところで大騒ぎになってしまいます。(余談ですが、教育実習生に対して「保護者からクレームが来るから生徒を叱らないでくれ」なんて「指導」をする学校も結構あります)

 

まぁ、基本的に現場を捨てた人間や現場では活躍できないような、どうしようもない人たちが上に立つのが現状ですから、ある程度は仕方ないことなのですが、文部科学省教育委員会がきちんとわけのわからない保護者を突っぱねられようになれば、われわれはビクビクせずに気持ちよく働くことができるのです。

 

その上で、怠惰な教員や体罰を行う教員など、問題のある教員に対して処分はきちんとすればさほど不満もたまらないと思います。

 

さらに③についてですが、学校教育の現場には人事のプロが存在しません。せいぜい、最近台頭している公立の中高一環後に能力の高い教員を回そうとしているというくらいです。だから、ろくな形での評価はされず、「内輪」で進んでいきます

 

そしてよく言われてることですが、学校と言うのはみんなで「平等」に進めていくと言う暗黙の了解がありますから、みんなが仕事を持つことになります。だから何も決まらず、何も進みません。そして無能な人間は、全然仕事が進まず、結局は能力のある教員のもとに雑務がどんどんどんどん回されていくのです。

 

そのため、本来は授業や部活動などでパフォーマンスを発揮するべき教員が、雑務の処理に追われ、それでも授業や部活動などに精を出すとどんどん疲弊していくシステムが生まれています。

 

その一方で、やる気のない人間は涼しい顔して早い時間に家に帰って行きます。そういう人は生徒からも全く相手にされませんから、生徒の面倒も忙しい先生が見る羽目になるのです。

 

これに対してはコンサルタント等の外部の機関を利用し、人事にメスを入れるべきです。指導力の高い教員は授業などにある程度専念できるように、そして、質の低い教員は、事務職員のように雑務をどんどん担当させればいいと思うのです。全員の負担を軽くする必要はありません。働く人の負担を減らし、怠ける人の負担を増やせばいいのです。

 

生徒以下の学力の者に授業を多く持たせたり、嫌々すわって偉そうに能弁垂れているだけの人に部活動を持たせたりする必要はありません。生徒が恩恵を受けられるような形で改革を進めるべきだと思っています。

 

3.まとめ

 

結局のところ、「みんなが平等に」と言う、「平等性」と言う言葉を左翼的な解釈で履き違えた価値観から、様々な問題が生まれているのです。

 

学校教育は家庭教育とは違います。わが子に無償の愛を注ぐのではなく、国としての国家100年の戦略が求められるものです。

 

下ばかりを見て上を見捨てるのではなく、国や組織として、人手を使うべきところにきちんとお金とマンパワーを使っていけば、それなりに働きやすくなると思います。そして子供たちが、恩恵を受けられる社会へと変わっていくでしょう。

 

タイムカードとか免許更新とか残業代がどうとか、何の意味もないですよ。

 

 

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